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「 拓魂 第6号」 昭和48年12月25日発行

不忘記了

学66期 藤堂 健司

押忍、台湾旅行記を書く様にとの支部長運の先輩より、きつい御達しがありまして筆を執っておりますが、いざ書く段になりますと仲々むずかしいもので何を又、何から書いて良いやら、作家ではあるまいし上手に書こうと思うのが間違いの元で思ったことを勝手気ままに書けば良いのだと自分に云いきかせ、乱文のお許しを得ていざゆかん。  

さて、今や台湾への経験者は大変多く、別段なんの珍しい事はないのですが、大体の方は台北、台中、うまくいって南の高雄あたりでいずれも都会の中で酒家遊びで終わってしまうのではないかと推察しています。日本人というのは、いや男というのは小姐に弱いもので酒家の小姐に”アンタキレイネ、ワタシアンタの台湾太太(タイタイ)ヨ”なんてへたくそな日本語の片言にデレーとなって持っているライターを請給我好口馬なんて云われてハイロレマデ、その時以来ライターの所有権は小姐に移行し、彼女のブラジャアの奥深くへ入ってしまうのである。この時”ふざけるな、このアマ”と云って請給我好口馬に言い返せる日本男児は何人おられることか。小生にはとても言えない。実は小生もこの被害者の一人である。

これぐらいで済めば安いものである。酒家の営業時間がPM12時に終わり、事の話がついて一足先に大飯店で待っているとやがてやってくる。驚くなかれヒモ付きである。名目は酒家のマネージャーの肩書であるが、明らかにヒモさんである。このヒモさん、タクシー代を請求するのである。やらねばなるまい。まさか大の男に二十元や三十元で済ませるわけにはゆきませんぞ。それから、小姐の相場が2000元である。こういうヤカラはこれで済む訳がない。例のアタシ、アンタの台湾太太ヨでチップをがっちりせびり取られるのである。ああ男とは何たる○○である。知ってか知らずか毎天晩上晩去酒家小姐、有很多日本人なのである。台湾の小姐が高くなったのは、この日本人のせいだと現地人はなげいている。世界に名高いノーキョーさんはその批難の的であった。

さて、小生の訪台中一ヶ月半を殆ど過ごした佳里は台南からタクシーで40分ぐらいの田舎町である。タクシーのメーターは120元ぐらいになるのだが、実際に払うのは60元、この辺から我々にはちょっとおかしいなと思ってくるのだ。タクシー代は交渉なのである。又、乗り合いが出来て4人で乗れば一人15元払えばよいのである。この為に、台湾人は30分や40分平気で相手が現れるまで待っている。小生にはとても待つ忍耐がなかった。

佳里についてまず驚いたのは、「オス」が生きていた事である。佳里中学体育主任教師翁丁川先生が発生源で、この先生の行くところすべてオスなのだ。中学校の生徒も町の商店主も「オス」、もっとも台湾人に押忍の意味が解るはずがない。中学生の中には翁丁川先生の名前かと思っている者も居るそうだ。この翁丁川先生先生、実はれっきとした拓大剣道部の大先輩で、剣道七段教師である。二刀流の達人である翁先輩には、毎朝稽古をいただいた。小生はご苦労にも荷物の半分も占める程の剣道防具をかついで行ったのです。8月の猛烈な熱下を。この苦労も思惑通り報われた。小生は、剣道を通し朋友を作るのが一番の親善になると確信していた。毎朝の稽古で学生から社会人まで多く朋友が出来た。翁先輩を除いて皆三段以下なので、現在五段の小生はどうしても恐縮ながら指導する側になり、日本語、中国語、台湾語のチャンポンにて大変なものであった。しかし、何とか通じるものである。小さいながら自分にとって最高の親善であったと思っている。

ところで佳里という田舎町、読んで字の如く本当に佳い里である。人情味のある人が多く小孩達は素足で走り廻っているのが多い。特に食べ物が豊富で安い。赤ん坊のにぎりこぶしぐらいの焼ハマグリ生きていて、泳ぎまわっているエビ、カニ等々の山海の珍味から、見た事もないくだもの、翁先輩に云わせれば小姐も食べ物であって、誰々を食べたがおいしかったなどという話は毎日聞かされた。52才とは思えぬ若さとバイタリティの翁先輩は、酒を飲むと我慢が出来なくなり40元の所へオートバイですっ飛んで行くのである。そのタフさには本当に驚きであった。小生も負けずに頑張ったものです。しかし、40元とは大変な安さではないですか。小姐は若いのばかりだし、前述の通り台北は2000元である。しかし40元だけあって不好だ。第一ムードがない。それにもまして、おみやげの方が心配で危険である。経験の為に一回か二回行くのは良いとして、それ以上は我々には考えものである。愛好者の翁先輩には申し訳ないが。

佳里にはもう一人大物の先輩が居られた。拓大開拓科卒、現在製糖公司(国営)の農務課長、黄桜楚先輩である。眼光鋭く見上げるばかりの大きな体を持ち、その飲む食うは見ていて気持ちが良いぐらいである。御禁制の酒家へは平気で入るし(公務員は酒家への出入り禁止で3回捕まるとクビとなる)本当の酒鬼であり、風流鬼でもあるのだろう。勇ましさこの上ないといった感じであった。

この両大先輩のお蔭で小生は、100人近い台湾人と知り合うことが出来、又、普通の観光ではとても味わえないものも知り、本当に幸福の至りで、両先輩には改めて感謝しております。

又、小生の訪台中を機会に謝竜波先輩(高雄在住・柔道)黄呈森先輩(員林在住・柔道)が遠路はるがる多忙の中を佳里に集まって下され、翁、黄先輩と小生の5名なれど共に杯を交わしてくれた事は身に余る光栄で、忘れえぬ思い出として残っている。4先輩共拓大に非常な懐かしみと誇りを持っておられ、是非台湾支部を結成したいと言っておられた。

ある物凄い暑い日、黄桜楚先輩が突然小生のところへ来て、台湾の結婚典礼を見た事がないだろうから連れて行くというので喜んでお供をさせてもらった。まず驚いたことにその料理の盛大な事、次から次へと見た事のない料理の山山山である。宴会の横で本職の料理人が五右衛門風呂の様な釜(鍋)で料理しているのである。恐れ入ったのは暑いことこの上なかった事である。37~38℃もある炎天下で(新郎宅の庭先)これ又暖かいビールを飲まされ、舌がやけどする程熱い料理をもういやという程食わされるのである。汗かきの小生は頭から水をかぶったと同様で、ハンカチを何度シボッタことか。まだある。たまたま当家が養鶏業の為ハエの大群である。事実コーラの瓶に止まったハエで瓶が見えなくなる程、又、始終左手でハエ追いをしていないとゴマあえでなくハエあえの料理になってしまう。本当に参ったものであった。しかし、それもこれも新婦のあまりに很美麗さの為にすっとんでしまった。御存知の通りで台湾小姐のきれいな人は大変なものである。しかしこの美麗小姐も太太になると、虫も殺さぬ可愛い顔をしていて、平気で鶏の首をひねり、首に一刀を入れ血を抜くのだから恐れ入る。もちろんその血は捨てない。飲むのである。台湾では豚でも鶏でも捨てるところがない。小生もすべて経験の為と目をつぶって、豚の脳みそを食い、鶏の頭を、又五本の指の足を食べた。鶏の足など思い出しただけでもうんざりである。市場へ買い物に行くと、見た事のない珍しいものが沢山あるが、豚の頭が目をむいて幾つもぶら下がっているのは、とてもたまらない。あの脳を食い、おでこを食ったかと思うと、日本人に白い目で見られはせぬかと心配である。やはり、小生には佳里の酒家小姐の雅が不忘記了。

押忍

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