「 拓魂 第50号」 r令和元年9月21日発行

『ベトナムハノイ訪問記』

学部83期 小畑 邦夫

小畑君・・・一緒にベトナムハノイへ行ってくれないか?
 こう言葉をかけられたのは確か昨年11月の浜北商工会の理事会の席かと記憶する。

まずは浜北商工会について簡単な説明をしておく。浜北商工会は今から59年前に創設され、総会員数はなんと2000事業所をゆうに超え、県内では絶えず会員数で1番2番を競っている大規模商工会である。

商工会そのものは、商工法に基づく特別認可法人であり、その地区内における商工業の総合的な改善発展を図り、あわせて社会一般の福祉の増進に資することを目的とするとして設立され、様々な事業を展開している。

ここ浜北も早くから商工会が出来、私の会社も創立当初から会員として加盟しており、私自身、副支部長やら監事などの役をやってきたが、どういうわけか平成27年六月から、本商工会の副会長に抜擢され、現在二期目を務めている。 年代的に若い私が急遽副会長にさせられ就任当初は悩んだものだったが、今は前むきに捉え楽しんでやっているのかもしれない。

まあ、それはさておき、ハノイに誘われて、これも何かの縁だと思い行くことを決心した。

・・それがいろいろな出会いに繋がるとは思いもよらなかったが・・

その後、出発は1月15日と告げられ、すぐに準備に入った。今回の目的は、外国人技能実習生の送り出し機関の視察である。 外国人技能実習生受け入れ事業とは、わが国の人材不足を補う事。そして、日本で培われた技能・技術・知識の発展途上国への移転、経済発展を担う目的として、今年度四月新たな制度が導入された。

担当役員は、主に視察が中心。随行した私たち(3名)は視察以外の観光もスケジュールに入れてもらった。 そのため、ハノイでは何を見るのか ? を出発前からチェックし、書店にも何度か足を運んだ。いくつか候補があったが、その一つはハノイの軍事博物館とホーチミン廟だった。

私たちの世代は、ベトナムと聞くと、なぜかベトナム戦争を思い起こすが、それは戦争が終了した後の映画での世界。アメリカがベトナム戦争の後遺症に苦しんでいる間、ベトナムを題材にいくつもの映画がハリウッドで作られた。オリバーストーン監督の「プラトーン」や「ランボー」等といった戦争映画が人気を集めた頃だが、ハノイに行くからにはこの軍事博物館は是非見学したいと考えていた。余談だが、このハノイ訪問の一月後に、米国のトランプ大統領と北朝鮮の金委員長がハノイで会談することになることも、後で知って驚いた話だ。

そんな事で、ベトナムハノイ行きの準備を始めていた矢先、ベトナムに行くことを自身のFBを通じて発信したところ、拓殖大学学友会ベトナムハノイ支部という肩書で、日本語を使い、「押忍 私は拓殖大学学友会ハノイ支部のブイ チュン キョンと申します。先輩は、今度ハノイに来られるのですか? なら、ハノイ支部の会に参加しませんか?お待ちしています」 というメッセージが私のスマホに入り、ハノイの拓大メンバーの画像も一緒に送られてきた。その画像を見て改めて拓大の繋がりの深さに一人感心するばかりであった。また、そうした連絡をいとも簡単に繋げてくれたSNSという通信技術の進歩には改めて驚かされるばかりだった。

その後彼とは何度も連絡を取り合い、結局、いつの間にか、ハノイの後輩たちに会うことが目的に変ってしまった。これも拓大の縁かと悟り商工会には私のスケジュールの変更を告げた。そして出発の日1月15日がやってきた。

出発直前まで浜北商工会賀詞交歓会、浜松植木生産者会議の「緑豊かな環境つくりポスターコンクール」の表彰式と続き、少々疲れていたが、そうは言っていられない。朝、5時に浜松西インターのe‐wingに集合し、リムジンバスでセントレア空港に向か い。ベトナム航空347便でハノイへ出発した。14時05分ハノイ到着。初めて降り立ったベトナムは熱帯地方特有の暑さと湿気を肌で感じ、映画の中の風景そのものだった。

私たち一行は、到着するやいなや、現地送り出し機関を視察に車2台で出発した。途中は、車とバイクの多さ、そして洪水のように流れる車とバイクに唯々驚くばかり。時折、何度となく、あっ危ない!ぶつかると、ドキッとしながら街中を抜け、農村を通り到着。そこは日本で研修活動をするための日本語学校であった。大きな建物と、広場、そして裏側には寮を完備させた造りで、校舎には日本語で、“こんちは”“おはようございます”と書かれた旗が括られて、階段の段差のすべての部分にも、誠実とか、丁寧とかの 文字が至る所に書き記されている。その徹底した日本教育には感銘した。

そして、送り出し機関の方に教室を案内されると、生徒全員が直立不動で、“こんちは”と声をかけてくる、その姿は、現在の日本の小学校ではあまり見られない光景で、逆にこちらの方が竦んでしまう。この姿はどこの教室に行っても同じだった。日本で研修生として働くために、日本人以上に日本の文化を学ぶ姿に、私たち一行は涙腺が緩む思いでいっぱいであった。

さて、そんな学校見学と送出し機関の会社訪問を終え、その夜は送り出し機関の関係者と食事をした後、ハノイの後輩たちに連絡を取り、この日を終えた。

翌日、私たち一行は二班に別れての行動であった。引き続き、別の送り出し機関の視察するグループと、自由行動をするグループ。私は初めてのベトナムという事もあり、後者のグループに入れてもらった。

ハノイに来たら一度は観光する所、それはハロン湾である。朝迎えに来たガイドとともに、ハノイのフォーチュナホテルを出発したのはいいが、これがまた遠い。途中ビールを買い込んでいったはいいが、到着までほぼ4時間。道中は皆退屈はしていたものの、私自身、車中からベトナムの風景を珍しく眺めるだけでも楽しい時間だった。

途中、各国から進出している企業の工場を見ることができ、私のいる浜松からも多くの中小企業がハノイ郊外に生産工場を持っていることから浜松とベトナムの近さを車中から見ることができた。 そんな車中からの景色を見ながらハロン湾到着。ハロン湾の観光は船に乗り、山のように並んだ岩山をクルーズするのが一番である。 船に乗ると早速昼食、そして、すぐに出されるのがワイン。フランスの植民地時代の影響なのだろう。滞在中、このベトナムワインはとても美味しく感じたものである。

酔っ払いながら船のクルーのおばさんに写真を撮ってもらうのもハロン湾の観光だ。その後一度、島に上陸して鍾乳洞を見学した。余談だが、この日から約一か月後に、北朝鮮の高官一行がハロン湾の見学に来たようだ。

さて、この日、日中はすべてハロン湾に行って帰って来るという行程で終わった。そしてハロン湾から車に揺られクタクタになりながら夕方レストランに到着。これから学友会ベトナム支部の総会に招待されているため、あまり食べたくはないが、予定に入っているため仕方がなく夕食を食べ、私を除く商工会役員はここでホテルへ戻り、私一人再び夜のハノイへ、後輩たちに指定されたレストランへ向かった。

首都ハノイといっても日本の繁華街とは違い、やはり東南アジア。街灯が つく道路から離れると真っ暗な闇が続く。数分後にガイドに案内されレストランに到着。車から降り、会場まで行くまでの間、胸が高まった。

レストランのウエートレスさんに片言の英語で、宴会に呼ばれた事を告げると二階に案内され、ベトナム支部の皆さんと対面。 先ずは“拓大人としての挨拶である。『オッス”初めまして浜松から来ました83期の小畑です。』そこにいる皆も私の顔を見て『オッス』皆若い・・

早速挨拶で、今回ベトナムに来た目的を話させてもらったのだが、この場に私以外にも日本からの拓大関係者がその席に居て、『何期でいらっしゃいますか?』と尋ねると『オス、80期のHです。扶桑寮で寮長をしていました』と・・ 早速共通しそうな先輩の名前をあげると、なんと知っている先輩ばかり。H先輩は現在、九州の福岡県支部にいて仕事の関係でハノイに来たとの事で、ベトナム支部の皆さんとは別に、共通する学友先輩の話でことのほか盛り上がった。

また商社の仕事で来ていた後輩のO君も、ハノイ支部の呼びかけでこの会場に、まさしく拓大のミニOB会がここハノイで開催されているそんな感じであった。

そしてハノイ支部の中心となっているハンさん、ベトナム計画投資省に勤 める女性のハーさん等々、ベトナムの後輩の皆さんと色々な話をし、日本では何処に居たのか、何の仕事をしているのか、ホーチミン市にも拓大の仲間がいる事等々話が尽きなかった。

とにかく皆若いため、このベトナムの後輩達が、将来拓大のみならず日本との特別な関係を築くことになることは言うまでもない。このベトナム支部の発展を心より祈るばかりだ。フレー・フレー 拓大ベトナム支部である。

拓大学友会ベトナムハノイ支部との交流風景

そんな楽しい時間もあっという間に過ぎ、H先輩をタクシーで見送り、私はベトナム支部の皆さんにお礼を言い、深夜一人でフラフラと拓大の歌集を口ずさみながらフォーチュナホテルまで歩いて帰った。 ・・・

翌日1人で歩いて帰ってきたことを話すと、皆から不思議がられたが・・・、変っている人だと思われたに違いない。

話は今年の拓殖大学学友会新年会の日になるが、この日、東京ドームホテルで開催される平成31年拓殖大学学友会新年会に出席した際、理事長にベトナムに行ってハンさん達ベトナム支部の事を伝えたところ、ベトナム支部が拓大として重要な役割を果たしている事や、ハンさんも日本とベトナムの関係の話を講演している事を知った。学友会便覧2019を確認したところ、最後のページの学友会海外連合会・支部役員名簿にベトナム支部長としてNGUYEN HA HUNG院56と記載があり、彼がベトナムで拓殖大学学友会ベトナム支部をまとめている後輩だという事が分った。彼とは今年3月再度浜松で再会することになった。

話をハノイに戻すが、最終日は前述したハノイ市内観光。先ずはハノイの軍事博物館、ベトナム戦争期間中の歴史や軍事物資、戦闘車両や航空機が展示されてあったが、なにせ敷地面積が狭く、窮屈な感じが否めない。せっかくの貴重な資料がこれでは、少しもったいない感がしないでもない。

私が中国にいる時期、北京にて、歴史博物館と軍事博物館を見学したことがあったが、こちらの博物館は凄い。資料面積とも規格外、中国は別格だ。

ハノイ軍事博物館

ハノイの軍事博物館の見学が終わった後は、これもハノイに来たら外せないホーチミン廟。ベトナム建国の父と言われたホーチミンの廟である。ここも、我々一行が見学した一月後に金正恩が見学に来たとの事。偶然です。もちろん私たちがベトナムに来る前から第二回の米朝首脳会議がハノイで開催されるとはまったく思ってもいなかったので、不思議な縁を感じた。また、その時の事は、今回お世話になった学友会ベトナムハノイ支部のハンさんに聞いてみた。

ホーチミン廟

今回のベトナム訪問は、外国人技能研修生の送り出し機関の視察と顔合せが主たる目的だったが、ひょんな事から実現した、拓殖大学学友会ベトナムハノイ支部との交流を通じて、つくづく拓大の深さを感じた次第である。というのは、今回の一連の話を、商工会関係者に話したところでまず理解出来ない事かと思う。つまり拓大を卒業して生きてきた関係者以外通じない話ではないかと感じる。

大学が創設され以後、台湾を中心に、南米や南洋そして中国大陸に渡り、それぞれの人脈を築き上げ、拓大の名を世に伝えた先達たちも同じ思いであっただろうと思う。

拓大という繋がりで、人種を超えた縁を持つ。今回のベトナム訪問がそんな貴重な体験を与えてくれたようである。

我が母校拓大とベトナムハノイ支部の、今後のゆるぎない発展を祈り、この辺で筆をおく。

(終)



拓魂


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