「 拓魂 第49号」 平成30年9月29日発行

『「柔道の鬼」木村政彦先生の生誕百周年に想う』

学部66期 安齊 悦雄

木村政彦先生が逝去(平成五年四月 享年七十五歳)されてから早いもので二十五年となる。そして昨年九月、木村先生(大正六年九月生)の生誕百周年となった。

平成二十三年、「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」(増田俊也著)が十八年間の取材を経て発刊され、それがベストセラーとなり、先生に再び光が当てられて話題を呼んだ。これに伴い、著者から何回かの取材があった。

先生の経歴等については先生の著書や「柔道部百年史・拓魂の軌跡」(平成十四年発刊)で周知のとおりであるが、その他のことについてはほとんど存じ上げない。

取材にあたって「先生との関わりの中でご自身から聞いた話や、私が実際に見聞した範囲内のことでなら。」と取材に応じてきた。

発刊後、間もなく著書が送られてきて一通り読ませてもらったが、私の知る範疇との相違点が幾つかあり、多少の違和感はあったが、長期に渡りよくここまで取材されたなと驚いている。


【先生との出会い】

昭和三十八年、東京オリンピック開催の前年、鎌倉学園高三年時、愛媛県松山市でのインターハイから戻り部活の休みをもらって在宅中、高校柔道部の師、齋藤次郎先生から「拓大の木村政彦先生が来校されている。すぐ道場へ来るように。」との電話が入り、急いで学校へ向かった。

道場には、木村先生の他、当時学生の高橋久男、花島紀久雄、藤野輝也、岩釣兼生の各氏が待機されており、岩釣氏は道衣に着替えていた。

あいさつもそこそこに急いで道衣に着替え、早速岩釣氏との乱取りとなった。いわゆるセレクションである。立技、寝技と一通りの稽古が終了すると、木村先生から「お父さんにお会いしたい。」と言われ木村先生ご一行を実家へ案内することになった。途中「お父さんは、お酒を飲むか。」と聞かれ、父は晩酌していたことから「ハイ。」と答えると、近くの酒屋で日本酒三本を調達された。父との面談が一通り済むと我が家で宴会が始まった。そこで私の拓大進学が決まってしまったようだ。  


【猪熊功への指導対応】

翌日、拓大の夏季合宿(於防衛大学)への参加を求められ、そこへこの年の全日本選手権者である猪熊功氏と師匠の渡辺利一郎先生が来られた。渡辺先生は過去に木村先生とともにプロ柔道へ参画していた方で、当時、横須賀の汐入で柔道場を開設。私が高校三年間通った道場で、猪熊氏は憧れの兄弟子である。

渡辺先生が、旧知の間柄か「キーちゃん(木村先生への呼び名)、うちの熊に一本背負いを指導してくれないか。」と依頼したところ、なんと木村先生は「五分や十分で教える技はない。」との断りに唖然とした。

木村先生のことをあまり存じ上げなかったので、全日本チャンピオンの猪熊先生への指導を平然と断るとは、この人はどんな人なんだろうと思ったのが、初めて出会った時の印象であった。

当時、木村先生四十五歳、拓大へ師範として復帰されてから三年目のことである。

以後、学生時代、コーチ・監督時代等で、合宿・遠征・スカウト活動あるいは先生への指導依頼のお伴など、十数年間「鬼の柔道」木村政彦先生と寝食を共にするような関わりを持つことになるとは想像できなかった。  


【生誕地での村おこしと“木村ロック】

先生の生誕地である熊本の川尻町では、郷土の偉人、木村政彦先生の生誕百周年にあたり、元市長らの音頭で「村おこし」の一環として、その偉業を称える様々な行事が行われたそうだ。

その中の一つに“木村ロック”なる球磨焼酎が発売された。

“木村ロック”とは、先生の得意技の一つで、関節技の「腕緘」である。

エリオ・グレーシーとの一戦で、勝負を決した技として、世界の格闘家の間では知らない者はいないと言われており、敗れたエリオが敬意を込めて名付けたものと聞いている。

先生は普段は冗舌で、我々に対してよく冗談を言われていたが、過去のこと、プロレス時代のこと、特に力道山戦やその他の経歴については、ほとんど話されなかった。もちろん、こちらからも聞こうともしなかったし、できなかった。

ただ、エリオ戦については一、二度聞いたことがある。技が決まった瞬間「グキッ、グキッ」となったところで折れたのが確認できたが「参った」をしない。「いいか、いいか」と声を掛けるも「参った」しない。仕方なく更にダメ押しすると、骨が砕けるような「グジュ」とした音がした。セコンドからの制止でやっと終わったが、「エリオは、どんなことがあっても、最後まで『参った』をしない。生死を掛ける覚悟で戦う。こんな者は、見たことがない。二度とやりたくない。』と、その根性を認めながら言われていた。

先生が逝去されてから五、六年経った頃、日本での「グレーシー柔術」の人気に伴い、エリオ一家が来日した際、先生の消息を知るため、息子達と一緒に講道館を訪ねてきたことがあった。

対応した資料館長の村田直樹氏から「木村先生はすでに逝去されたと伝えました。相当ショックを受けているようです。先生の弟子として何かありますか。」との電話があった。余計なことは言わない方がいいかなと迷ったが、先生から聞いていたエリオへの気持ちを伝えてもらったところ、「彼は真の武士だ。試合の後、血を流している私に『大丈夫か?』と気遣ってくれた。」と涙を流しながら喜んだそうで、伝えてよかったなと思っている。

その球磨焼酎の“木村ロック”が好評で、発売当初なかなか手に入らないと聞いていたので、地元OBへ頼んで取り寄せ、県内の柔道部OBや何人かのOBと分かち合った。その焼酎のラベルには先生の顔写真があり、なにか見られているようで、緊張しながら味わうこととなり、改めて先生との当時の関わり、特に印象に残っている出来事について回想してみた。  


【木村式トレーニング】

第一に思い浮かぶのは、なんと言っても当時の拓大の稽古やトレーニングであろう。これらは全て木村先生が実践されてきたもので、技術面はもとより、いつなにがあっても対応できる強靭な体力・精神力、そして持久力の強化を主眼に置いていると思われる。その内容は異質で過酷なもので、主にレギュラー陣に課せられた。

 主なものを列挙すると、
  • 「締技は参ったなし」落ちるまで
  • 「立木への打込」電柱にロープを巻き、一本背負い・釣込腰・大外刈等の打込み
  • 「泥上げ」約百キロ位の石や泥を詰込んだ約一メートル四方の木箱を抱えての階段昇降
  • 「腕立て」すり上げ方式で千回、終わるまで約一時間
  • 「巻藁突」正拳・裏拳・手刀・肘打等 空手部かと錯覚する
  • 「うさぎ跳び」膝を一回一回伸ばして高く跳ぶ方式
  • 「夜間の呼集(起床)」〇時頃が多い。打込やトレーニング
  • 「厳寒時の水泳」薄氷の張ったプールや池への飛込や海での寒中水泳
  • 恐怖の中休み」合宿中日の休日だが、休息どころか平素の倍となる

    • 飯盒炊飯予定が、明石宿舎から六甲山までのランニングと頂上でトレーニング
    • ソフトボール予定が、熊本城から金峰山までのランニングと頂上でトレーニング
    • 観光予定が、市内宿舎から日本平までのランニングと久能山階段でトレーニング
    • 朝から夕方まで、昼食抜きの終日稽古

等々だが、いつやるのか、いつ終わるのか、先生の胸一つ。一旦始まると翌朝までが度々あり、毎日が緊張の連続。同期が半減する中、よく無事にやってこられたなと今でも感心している。 


【優勝前夜の祝勝会】

こうした稽古の甲斐あってか、昭和四〇年、東京学生・全日本学生大会で悲願の初優勝を遂げた。東京学生の前夜のことである。試合に備え早めに就寝していると、零時近くに先生から起床が掛かった。起床そのものは驚くことではなかったが、明日の試合を控え、また朝までトレーニングかと思っていたら、近くの焼肉店にレギュラー全員が集められ、ビールを注文、先生の「優勝おめでとう」の発声で、「ありがとうございます」と応え、乾杯をさせられてしまった。

翌日の大会では、決勝で日大を三-二で破り、念願の初優勝を果たすことになるが、優勝が決まった瞬間、うれしいと言うより、前夜のこともあり、全員がホッとしたというのを今でも鮮明に覚えている。

東京を制する者は全国を制すると言われていたごとく、全国大会では、決勝戦で宿敵の明大に一-〇で勝利し初優勝した。これは我々に暗示を掛けたのか、それとも心眼で優勝が見えていたか。この出来事が不思議で今でも語り草となっている。

木村先生とは、高校時代に拓大への勧誘時以来十数年に及ぶことになったが、この間、稽古の厳しさばかりでなく、先生と一緒ならではの貴重な経験も多々させてもらっている。それが私の誇りであり財産でもある。

今回は紙面の都合上ほんの一部となったが、拓大の生んだ偉人、木村政彦先生との関わりの中でのエピソードを、後輩に語り継いでいかなければと思っている。

生誕百周年を期に、今年こそ、ご無沙汰している熊本市大慈祥寺で眠る先生の墓参を実現し、改めて、ご冥福と深甚なる感謝を申し上げたいと思います。 

(終)



拓魂


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