「 拓魂 第48号」 平成29年9月30日発行

『近代日本における大日本帝国憲法と現行憲法の改正点』

学部83期 小畑 邦夫

はじめに

今年も5月21日、拓殖大学茗荷谷キャンパスにおいて拓殖大学学友会代議員総会が開催されました。 私も代議員として総会に出席をしてきましたが、大学の門をくぐる度、私自身の拓大人としての心構えを再度リセットする気分になります。

今年は例年になく先輩方の訃報が続きました。 その一つ一つの訃報が、“まさか、そんな事はないだろう“と思いたくなるような出来事で、在りし日のお元気だった頃の姿が脳裏を過ります。 その先輩方は何れも拓大をこよなく愛し、男として生き、自身の生き様を拓大に捧げたかのようなそんな素晴らしい先輩方たちでした。 ここに心からご冥福を祈りします。

押忍

大日本帝国憲法

憲法を改正すると叫ぶと、タカ派で見られたり、時に右翼的分子と揶揄されたりし、 戦前の暗いイメージを思い思い描かせるような印象を与えられるが、それ以上に、保守的なイメージが大きい大日本帝国憲法とは一体何であったのか?

そもそも大日本国帝国憲法とは、明治22年2月11日に公布され、明治23年11月29日に施行されたアジアで最初の憲法です。この大日本帝国憲法される背景は幕末の日本を取り巻く世界情勢にあると考えます。

当時の日本の指導者(吉田松陰や、坂本竜馬や西郷隆盛そして大久保利通や木戸孝允等々)たちは、中国がアヘン戦争1840年で英国に植民地される事を知ったり、アジア諸国が西欧列強により植民地化されていく現実の姿に直面し1日も早い近代国家の創設の必要性を感じました。 そのためには徳川政権から天皇を中心とする政治システムに移換する必要があったわけですが、徳川政権を支持する勢力が残る中、戊辰戦争の終了を待って明治維新が成立しました。

明治新政府は新しい国是として「五箇条の御誓文」を制定、これが大日本国帝国憲法の思想的背景となりました。 しかし、このアジア初の憲法制定まで21年という年月がかかります。 その理由は、徳川幕府が終わり、新たな国つくりが始まりましたが、各地で新政府の方針に不満をもち、新たな政治体制の実現を実現しようとする勢力が蜂起し、反乱を企てました。明治7年の佐賀の乱、明治8年の神風連の乱、また、明治10年の西南の役は国内最大の乱でした。 明治の黎明期に、五箇条の御誓文で記された「広く会議を興す」まではいきませんでした。 また、他方では政府を下野した板垣退助たちは早期の国会開設を要求し、自由民権運動を展開します。

こうした状況をうけ、明治8年明治天皇は「立憲政体樹立の詔書」を発布し、憲法制定にむけ明治23年議員を召して国会開設を表明しました。 そして、伊藤博文は国会開設にむけ憲法を整備するため欧州を歴訪するのですが、日本の国柄に合う憲法がなかなか見つかりませんでした。

こうした中、明治新政府の帝国憲法の内容策定に中心的役割を果たしたのが井上毅でした。 井上は、英、独、仏の憲法に精通していた人物であり、彼は西欧の憲法を真似るのではなく、古事記や日本書記などの古典などを基に、日本固有の憲法を構想することを提案し完成したのが大日本帝国憲法でした。

この大日本帝国憲法でもっとも大切な部分は、第一章に「天皇の権」を記したところです。 これは、天皇をすべての上に立つ存在として位置付けることでした。 こう書くと、大日本帝国憲法=戦争と結び付けたがる輩がいるが、そうではなく、ここに 「五箇条の御誓文」の精神が込められているということかと思う次第です。

このような経過で、アジア最初の憲法である大日本帝国憲法が制定されたわけですが、 昭和20年8月15日の終戦により、ポツダム宣言を受諾し、この大日本帝国憲法は廃止される。


憲法改正の意義

そして1946年11月3日発布、翌1947年5月3日に日本国憲法が施行されるのですが、 現憲法は、連合国軍の占領下において、連合国軍司令部が指示し、草案されたものが制定されただけで、日本国の主権が制限された中で制定された憲法には、国民の自由な意思は 反映されていません。 中でも、自衛権を否定するともとられる9条など、大きな問題を抱えています。

もちろん、憲法9条だけでなく、憲法の前文であれ、安全保障であり、司法であり、地方自治法であり、商法であり、すべてにおいてその歪みがあるわけで、戦後、わが国だけは全く憲法を変える事無く過ごしてきたが、国際社会における先進国といわれる国は、 アメリカが6回、フランスが27回、カナダが19回、イタリアが16回、第2次大戦の敗戦国のドイツがなんと60回憲法を改正してきている、しかし、これだけ世界情勢が厳しい状況になっている中、日本だけは、憲法を改正したことは唯の一度もない。 このことは、ある意味異常な事でもあります。

その現行憲法の中で、9条とならび、多くの問題を抱えているのが皇室典範です。 先ほど、大日本帝国憲法では天皇を憲法の上に立つ存在として位置付けたと書きました。 つまり大日本国帝国憲法での皇室典範は、憲法と同格か、それ以上の位置に置かれていたのですが、現行憲法は憲法の下に皇室典範があるという事なのです。 極端な言い方をすれば国民の意志で皇室問題を取り扱えるという酷いものです。 これでは、皇室の存続すら危ぶまれることでしょう。

憲法とは全ての法の上に立つ最高の法です。 民法も刑法、商法もすべて憲法の下に置かれます。 ですから法は憲法を超えることは出来ません。 そう考えていくと現行憲法は日本を弱体化させる目的のためにつくられた憲法であったといっても過言ではないわけです。

話しを現代に移すが、昨今巷では、メディアによる安倍政権への倒閣運動が毎日にように続き、その姿には異常性を感じる。 その多くは森友問題・加計学園問題が中心ですが首相官邸の対応を批判する報道は止まるところを知らない。その問題の真実を知る加戸守行前愛媛県知事の証言は取り上げず、 これを報道しない自由として開き直り、安倍首相を悪者に仕立てあげる印象操作には余念がない。 こうしたいびつな報道に何かを気付いている人も少なくない。

ここまでメディアが執拗に倒閣運動をする理由は言うまでもない、安倍総理に対する警戒、 すなわち憲法を改正するのではという不安が朝日、毎日を中心とする左派リベラル派を そうさせるのだろう。 こうした一連の報道により、現在内閣支持率は急落し、今後の政権運営が難しくなっているが彼ら(メディア)はこれを喜んでいるに違いない。 メディアの使命とは何のだろうか? と、ふと考えてしまう。

こと、憲法改正については安倍総理の為、あるいは憲法改正党是とする自民党の為にやるものではない。 日本国民のために行うものである。すなわち日本を、そして私たちの国柄を取り戻すためのものである。

日本において、アジア初の憲法が制定された時代はどうだったのか? 西欧列強による植民地政策という弱肉強食の時代の嵐がアジアを覆っていた事を忘れてはならない。 だからこそ欧米に対応できる国家体制築くための憲法が必要であった。 現在、内向きになった米国をよそに、中国による軍拡と、北朝鮮のミサイル問題、そして世界を恐怖に陥れるテロが世界を席捲している。 自らの国を自らで守るための憲法改正はしなくてはならない、同時に私達の国柄を守り続けてきた天皇の存在を憲法を超えて明確にしておくことも同時に必要かと考える。

(終)



拓魂


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