「 拓魂 第48号」 平成29年9月30日発行

『訪中感想』 (拓魂第10号・昭和54年発行より)

専門部2期 菊地 芳保

去る5月9日より5月20日迄藤本友好訪中団に参加、終戦まで滞在した大陸のその後の変化を実地に見たい希望で訪中して来ました。

昭和13年拓大を卒業して直ちに満州(現在の中国東北地方)に渡り、開拓関係の仕事に従事し、終戦迄第2の故郷とも云える満州で意気盛んな青年時代を過した土地なので、何となく思い出の多い故郷に帰ると云う気分で胸をはづませ出かけました。 一行は添乗員を含め23名で、出発の1週間前にやっと訪問のスケジュールが通知されて来ました。

すべては中国当局任せと云う情況で、尚出発当日の説明会での旅行社からの諸注意を考えると、さぞや全体主義国の堅苦しさが思いやられて出発したが、現実は非常に暢んびりした気楽な旅行であった。

訪問先は北京、石家荘、大原、大同で、見学先は半日が工場、病院、学校、人民公社等の視察、半日が名所、古蹟の見学、其の間に買い物と云うコースで、夜は大部分が宿舎で休養と云う真面目な観光で、若い同行者は一寸物足りない様であった。

北京の気候は、丁度東京と同じ位で、新緑の気候で、旅行には最適の季節で、出発前、最近は植樹が盛んに行われて居るとの話であったが、たしかに都会の街路樹が完成し、その外側に更に植樹しているのが現状で、山の植林と云うところまで手がまわらない様子である。

吾々も何となく国賓待遇の様な感がする位で、一般人の対日感情も友好的で、戦前滞在した経験のある我々は多少心めたいものがあったが、考えて見ると戦後生まれが30才を超えている現在は、戦前の事にこだわり過ぎる方がおかしいと思ったりもしたわけである。

北京空港に到着すると通訳が2人出迎えてくれ、出港手続きもフリーパス位で羽田よりも楽な位である。

この2人の通訳は全行程付添ってくれ、土地土地で更に2・三人の通訳が別に出迎え、時には大学生の実習生が数名参加、どちらが通訳か解らぬ位に彼等の日本語勉強の熱心さに驚かされた位である。

出発前に中国語の再勉強を少しと思ったが、現在の簡体字(略字)が煩わしく不勉強で出発してしまったが、やはり中国の街に出ている中国語はこの簡体字が非常に多く判読するのに苦労したので、今後出かける人は多少勉強して行った方が便利であろう。

10数日の視察で現在の中国の現状を把握することは到底困難であるが、見たり、感じたりした2・3の事を書いてみたいと思う。

  • 一口に言って現在の中国は外観は日本の大正時代と戦前の状況で、現在の日本の近代化が一部やっと見え出して来たと云う感じである。
     街の交通機関は、戦前の洋車(人力車の事)は全部姿を消したが、「ロバ」や「ラバ」の大車は北京の街でも走って居り、オンボロバスが走って居るが行先が殆ど書いてない(職場工員輸送の為)。一般人は自転車で、其の多いのには一驚したが、これにライトが付いていない規格品ばかりで、街中を整然と列をなして通る。又盗難が殆どないという事も驚きである。
     乗用車は光湖・上海と云う二種類が製造されているが、街を走っている車は非常に少なく、人と自転車の間を自動車が縫って走るので、クラクションの騒音だけは大変なものである。
     建物は大分建替えされつつあるが、近代的建築はやっと最近やり始めたと云う感じで、街の郊外や田舎は戦前と同じで泥煉瓦や泥造の家が多く、昔を思わせるものがある。
  • 国内体制は3人組追放後、5年前の大旱魃から立直り、非常に安定し、表面上は国家主義と共産思想で統一され、今まで考えていた共産国家の冷たい感じは割合せず、国民ものんびりと慢々的で、自力更生を基本とした近代化に党の指導に従って生活している様である。
     「農業は大塞に学び、工業は大慶に学べ」のスローガンが、各処に書き出され、特に大塞は自力更生で全人民の為に食糧増産と生活改善に成功したモデルとされ、山を削り谷を埋め、農地造成と灌漑の徹底の見事さは、全体主義国家ならでは出来ない事と感心させられた。
  • 然し現在の中国は、政治・行政組織が整い、国民経済体制もやっと初期の形だけ総配置につけることが出来たと云うのが現状の様でもある。
     生活物資の配給制も最近は大分自由化され、希少のものや贅沢なものは高価にし、生活必需品は安く且安定価格で販売されている。
     物資も豊富になったとは云え、百貨店など日本のデパートやスーパーの比ではない。
     近代化の為、工場、農村(ほとんどが郡単位ぐらいに人民公社に組織化されている由)、学校、病院等のモデル設備が省単位から県単位に拡大されつつあるが、このモデルと一般化との関係は、何しろ10億の人口の平均的向上をモットーとする共産国家の中国として如何に実現するかは大変な事であろう。
  • 現在の中国では、総ての事が国営であり、全人民が公務員である。但し農村は人民公社員。
     賃金は30元から300元位で、大学卒で40元位、ホワイトカラーよりブルーカラーの方が給与が多い。
     1元は約140日本円だから日本の10分の1の低収入であるが、生活費が非常に安く、安定しているので、貯金が増えて困るとの事である。
     但し生活レベルが低く、買いたくても文化的なものは少なく且高価の為もあろう。
     例えば中国現在の三種の神器は自転車、ラジオ、ミシン又は腕時計との事であるが、自転車は150元、腕時計120元、ミシン140元(戦前の様なミシン)、テレビは250元で雲の上の話である。
     日本での商店、自由市場はなく、総て国営、又は人民公社の配給所で、広告看板等は一切見当たらず、最近は路上での野菜売り(これも公営)や食堂、その他生活必需品の加工配給所が増加しつつあるようだが、昔の中国人街のあの賑わいは殆ど見当たらない。
  • 名所古蹟の見学は万里の長城、明の十三陵、故宮博物館、天安門広場、天壇公園、各地の旧寺院、大同の石窟等を見学したが、さすが三千年の歴史と規模の雄大さには、日光東照宮でも此等と比べると箱庭位だなあと一同と話合った次第である。
     ただ各地の寺院・仏像など解放時大分破壊され、現在住職のいる寺は、見学した中で大原の玄中寺と云う寺に1人の僧職が居られただけで、各地の名蹟は現在観光地として修復中であった。
  • ソ聯の影響がまだ沢山残っていると思ったが、見た限りでは工場の一部の機械とソ聯式の古いトラックが見られた位で、現在は北京以北の地方では、盛んに地下避難場所、病院、学校等を構築し、対ソ意識は通訳でも吾々に悪口を云う位反ソ感情が非常に悪い様である。
  • 中国は10億の人口と云われ、食糧自給の達成中心の時代が終わると、現在稍々労働力が過剰気味に入った様である。
     工場も近代化の必要が発生しているので、農業工業の近代化を急ぎ過ぎる失業問題の発生は必然で、国民生活の平等化の共産体制の国柄では、自由主義国の様に必要なものはどんどん前進させるわけにも行かぬ事情もあり、やはり自力更生を基本とした漸進策をとらざるを得ないとすれば、中国の近代化は10年15年でも、現在の日本までにはなかなか到達出来ないであろう。
  • 同行者の中に最近訪ソした人の話では、ソ聯と中国では大分感じが違う。中国の方が随分とソフトな感じがするとの話があったが、西欧的共産国と東洋の共産国との違いはあるかもしれない。
     何しろ3千年有余の長い歴史のある国である。一時は共産国となっても、西欧的マルクス・レーニン主義の国から脱却し、儒教思想も取り入れた新しい国家に必ず進むであろうと思いを馳せ、自力更生を基本として漸次近代化し10億国民が平和に生活できる日の1日も早からん事を祈りつつ、北京空港よりイラン航空で成田に帰着した。
  • 帰国して思う事は、日本程良い国はないと実感する事である。
     それは云いたい事を云い、書きたい事を書け、言論の規制はまだるい程緩やかで、経済的物質的生活は恵まれ、その反面自由競争の厳しさがもたらす弊害があるにしても、中国の現在状況を見て比較にもならぬ程恵まれている日本。其上日本は世界中でも稀な天皇制国家で、政治体制と国民の連帯感が安定して居る事は、日本国民に生まれた事を幸福と思わねばならない。
      然し、中国にも学ぶ事は沢山ある。例えば公共道徳の徹底と自分の事より人民大衆の事を優先する思考等、学ぶ可きであろう。
     たゞ貧困の中で統一された生活をする国の女性より、変化のある日本女性の方が、見る人会う人総てが美しく見える数日であった。

(終)



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